木村康人の
Millennium地球一周旅行記

= 北アメリカ編(20
00年7月24日〜8月16日) =



The Beauty of Quebec City


    

MONTREAL, Canada 7月24日月曜日晴れ 「北アメリカ上陸!」

  丁度正午頃だっただろうか、僕を乗せたカナディアン航空はモントリオールのドルヴァル国際空港に着陸した。これまでで最も厳しい入国審査を抜けてやっとのことで到着ロビーに・・・ん?!ふと見渡せばネット接続可能な公衆電話がいくつか設置されているではないか!電話線の規格が違ったドイツでの鬱憤を晴らすべく早速トライ。ここまで旅を共にしてきた愛用VAIOを接続。するとどうだろう、僕のNYでのアクセスポイントに1セントも使わず接続できたし、しかもコンセント備え付けなので充電もOK(もち変圧器も不要!)だった。うーん、ウェルカム・トゥ・ノース・アメリカ!! やはりここは僕の第二の故郷だ(妙に感動)。そこで溜まりに溜まっていたメールを読み返事を書き、結局午後3時頃になってしまった。そろそろ市内に向かうバスに乗らなければ。
  目的地オーフォール(オルフォード)までは、モントリオールから更に中距離バスで1時間半のマゴグという小さな町まで出て、そこからタクシーに乗らなければいけない。僕はスーツケースの状態が心配だったが、何とか無事にサントレ・ダール・オーフォール(オルフォード・アーツ・センター)に到着できた。とりあえず一安心。ちなみに今日から僕はここの音楽祭で3週間指揮の講習を受けるのである。
  「それにしても田舎だな〜。
  これは第一印象。でもこれぐらい静かな環境の方が音楽にも集中できるだろう。3週間も同じ場所に腰を据えるなんてこれまでの旅では有り得なかったことだし、寮生活するのもこの旅行中ここだけだ。新規一転頑張りたいと思う。



ORFORD, Canada 7月25日火曜日晴れ 「ミュージックキャンプ2日目」

  昨日も書いた通りここは至って静かな環境で、音楽以外に可能なアクティビティはごくわずか。そのためはっきり言って旅行記に書く大した話題も無いと思われる。そんな訳でここからはあたかも小学生の夏休みの日記のようなコンパクトな文章が展開される可能性大である。何か良い話題を提供して頂ける方がいらっしゃれば有り難い次第であるが、いかがなものか。



ORFORD, Canada 7月26日水曜日晴れ 「ドーミトリーライフ3日目」

  それにしてもここのところいい天気続き! 異常気象(イェレーナ談)だったドイツでの2週間など、今や遠い季節の出来事のようだ。しかしこれほどの青空の下、冷たい建物の中で楽曲分析などのクラスにいる僕らが信じられん(笑)。が、悲しきかなこれが音楽家ライフというものなのだ。ボストン時代に後輩が言っていた可愛らしい台詞を思い出した。
  「ヴァイオリンはもちろん大好きだけど、唯一悲しいのはとってもいいお天気の日でも暗い練習室に入ってスケールを弾かなきゃいけないことだわ。」
  僕はくだんの生活はもう仕方なく思うようになってしまった。ライフを悟り始めてからは。しかしここにいると執拗にウィディア大学やワルナット・ヒルでの寮生活を思い出す。あの頃は楽しかったなぁ〜。たまにはこういうライフも良いかと思ってしまう自分だった。



ORFORD, Canada 7月27日木曜日曇り 「ケベック4日目」

  ここに来てまず感じたのは、予想以上にフランス語人口が多いことである。フレンチ・カナディアンがマジョリティだというのは周知の事実だったが、これほどまでとは・・・。ケベック州の公用語は英仏両方ではなく仏語オンリーだそうだ。そのためか町の標識も何もかもフランス語。正直言って「ここは本当にカナダか?」って感じ。英語が併記されることも多いが、モントリオールから離れれば離れるほど「フレンチ・オンリー」の空気は濃くなる。そりゃ独立心旺盛なフレンチピープルだもの、「ケベック独立」を掲げる理由が少し分かった気がした。僕はフレンチはからっきしなので、フランス語しか話さない話せない人とのコミュニケーションはさすがに参ってしまう。だが本家フランスと違うのは、こちらが英語で喋りかけても大抵の人はイヤな顔をせず英語で応答してくれるということ。その辺の器用さはケベック人ならではと言ったところか。 



ORFORD, Canada 7月28日金曜日晴れ 「音楽祭5日目」

  ここの音楽祭の指揮科だが、実は僕が予想していたよりもレベルが結構高めなので驚いた。ヴァイマール以上に妻子持ちの指揮者も多い。少なくとも男(ゲイ以外の人)は僕と他1名を除き全員結婚している、といった状態だ。クラスは全員で13人で、既に大きなキャリアを持っている人やプロのラッパ吹き、あとあの秋山和慶先生の弟子などもいて、なかなか多彩。関係ないがフランス人指揮者エマニュエル・クリヴィヌの息子などもオーボエで参加している。ここのオーフォール音楽祭も小規模ながら比較的インターナショナルで、カナダ出身が半分以上を占めるものの、アメリカ、ドイツ、フランス、スイス、ユーゴスラヴィア、中国、香港、台湾、韓国、アルゼンチン等からも参加者が集っている。ちなみに日本人では「もう一人の木村」さんがいるはずなのだがまだ出会っていない。そんな感じで、ここではNYやドイツとはまた違った体験ができることを期待している自分である。



MONTREAL, Canada 7月29日土曜日晴れ時々曇り 「北米のパリ2日目」

  ウィークエンドは指揮科の仲間と一緒に車を借りて小旅行をすることになった。今日の目的地はモントリオール。僕のルームメイトで香港出身トロント在住のアンドリュー31歳と、台湾でプロ活動しているリー氏46歳との3人でマゴグの隣町シャーブルックのレンタカー屋から出発! シャンプラン橋の工事による渋滞で到着が大幅に遅れたのは計算外だったが、何とかお昼過ぎには市街地に。まずは目抜き通りサント・カトリーヌ通りで昼食にモントリオール名物のスモーク・ミートを食べ、それからは【音楽人】3人で楽器屋、楽譜屋、CD屋巡りを決行。モントリオールには相当数の中古CD屋があって、これは嬉しい驚きだった。セントローレンス川沿いをドライブしたりエスニック色漂うサン・ドニ通りでコーヒーしたりと、楽しい午後を過ごせた。夜はというと、まぁ男3人揃って行く所といったらおのずと限られる。後は皆さんのご想像にお任せするとして、ひとまずこうして無事宿舎に戻ったことをお知らせしておこう。今日のところはこれにて。



QUEBEC CITY, Canada 7月30日日曜日晴れ 「ケベック・美しき州都」

  今日は昨日のメンバー+ヴァンクーヴァー大学を卒業し現在プリンス・ジョージで活動しているブロック26歳(やはり既婚)と一緒にケベック州の州都ケベック・シティに出掛けた。ケベックまではマゴグ/オーフォールから約2時間半のドライブ。今日は渋滞に巻き込まれることもなく、終始安穏快適な移動だった。セント・ローレンス川を渡り市内へ向かっていくと、ヨーロッパ的な石造りの建物が次々に目に飛び込んでくる。・・・ケベックは美しい・・・。僕がこれまで訪れてきた北米の都市の中でも最もラヴリーな街と言っても過言じゃない、という位。少なくともモントリオールやボストン以上に「欧州的な街」というのが僕の第一印象であった。こんな可愛らしい街が広大なカナダに存在しているんだから、分からないもんだ。
  僕らはまず州議事堂近くの城壁の脇に車を停めて、戦場公園やシタデルの周囲を散歩した。ここで北米唯一の城塞都市であるケベック・シティの歴史について少しだけ触れておこう。
  
  1608年・・・フランス植民地の拠点、毛皮交易の居留地としてケベック・シティ誕生。以後幾度のなく英仏の領土争いの戦場に。
  1759年・・・この年の英仏植民地戦争でケベック植民地は完全に英国領となる。
  1763年・・・フランスはパリ条約で北米に於ける全植民地を英国に割譲。
  1764年・・・ケベック法により、フランス系住民の言語や信仰、財産法、文化等はかなりの自由を認められる。
  
  これらはカナダ連邦誕生(1867年)のはるか前の話である。ちなみにその後も英仏の争いは耐えることはなく、これに隣国アメリカの脅威も加わってケベック植民地は分離合併を繰り返すのだが、その辺は割愛することにしよう。これらの歴史は我々のグループの中で唯一カナディアンであるブロックが丁寧に教えてくれた。「ケベック」とは「川が狭まる所」という語源を持つらしい。確かにセントローレンス川はここに来てその川幅を極端に細めている。
  そんな感じでカナダにしては珍しく歴史を肌で感じ取りながら、僕らは情緒漂うサン・ルイ通りを歩いて旧市街へ。ホントにヨーロッパにいるような錯覚すら覚えてしまうような、そんな感じの街並みが続く。ホテル・シャトー・フロントナックまで出て、僕らはその辺をぶらぶら。ところでこのホテル・シャトー・フロントナックがまたスゴイ! 皆さんも是非そのいでたちを旅行書等で一度ご覧になってみては。とってもゴージャスな古城そのままと言ったホテルで、街のシンボルというのも素直にうなずける。僕らは昼食を兼ねて旧市街中心にあるパブに入り昼ビール決行。僕はジョッキ2杯+ワインも1グラス空ける。いい気分で僕らは再び町へ。そこからは僕はブロックと一緒に別行動。川岸のロウワー・タウンに「北米で最も古い繁華街」と謳われるプチ・シャンプラン通りがある。サン・ルイ通り以上に中世の色合いを残し、そして大変な賑わいを見せているストリートだ。僕とブロックはメイプル・シュガートッピングのアイスを食べながら(Yummy!)そのエリアを散策。何ともいえない幸福感に満たされた。
  ちなみに僕はここでも「展望台」を探すのを忘れない。ケベックには幸い天然・人口含め幾所もの絶景ポイントが見られ、僕らはその中で最も「高所」に位置するキャピタル展望台にも足を運んだ。好天にも恵まれ、素晴らしい眺望+ケベックの歴史をかたどるパネルの数々を一度に見られ正に一石二鳥。僕らはその後シタデルから「総督の散歩道」を再びシャトー・フロントナックに歩いたのだが、そこでたまたま古書&中古CDの野外セールに巡り合った。これがそこそこ大規模のもので、僕もとりあえずブラームスとプロコフィエフのCDをGET。夜は4人合流して新市街のサン・ルイ通り沿いの仏料理屋でディナー。午後8時半だったか9時だったか、僕らは120%満足のいった州都一日観光を終え帰途に着いた。


Le Chateau Frontenac



ORFORD, Canada 7月31日月曜日晴れ 「不満」

  ここオーフォールの不満を挙げなければいけないとすると、まず食事の時間が早すぎることだ。NYでは夕食が深夜12時を過ぎることも珍しくない僕にとって、ディナー6時から7時というのはアクセプトできたもんではない。しかも昼食12時〜1時というのに対し朝食が8時〜9時というのは時間的に余りにも遅すぎバランスが悪いと思う。こっちではこのくらい早い夕食を取る家庭も珍しくないらしいが、それが本当だとしたら夜11時頃には小腹が空いて間食を取りそして国全体の肥満率アップに貢献する多くのカナダ人が目に浮かぶ。そこまで不平をこねる気は毛頭ないが、それにしても夕食の時間は何とかならんものかなぁ。あ、あと虫がやたら多いのも困る! それだけここが自然に溢れているといえばそれまでだが、似たような気候の北海道はそれ程バグもおらぬだろうに、これ如何なるものか。



ORFORD, Canada 8月1日火曜日曇り一時雨 「通説」

  こういう所、つまり団体生活所の食事というのは決して美味ではないというのが通説だ。オーフォールのアメリカ人やカナダ人の中ではここの食事を愚痴るのがもはやトレンドになってきている。「君らがいつも食っとるもんと大して変わらんじゃろが!」と言いたくもなるがそれは置いておき、ともかく彼らが愚痴るのは「大量に配給される食べ物はマズい」という固定観念が人類の何処かに根付いているからなのでは、と僕はここで問題提起する。例えばキャンプで飯盒炊さんして「美味いうまい」と食らうカレーも、美味しさのバロメーターがあるのなら(注*実際のところこの種の機械は既に開発されている)キャンプで食うカレーなどその辺の学食カレーと大差はなかろう、と僕は思う訳だ(注2*もちろんキャンプでカレー食べるのは素晴らしいことだと僕は思います。しかし「事実上どの程度」美味しいと言えるのか、と言っている訳です)。ただ自分自身の手で作ったという見せかけの「清潔感」と、野外という開放感からくる「快感」のため普段食べるカレーライスよりも美味いように思えるのだと僕は考える。実際ここオーフォール音楽祭のメシのレベルはそこまで低くはないと思う。そう思うのは決して僕の味覚がお粗末だからではないし、到着したばかりのもう一人の木村さんもそう言っているので信頼して欲しい。
  僕はここだけの話(注3*絶対「ここだけ」にならないに違いないのだが・・・Coffee Break!参照)屋外で食事をするということに強い興味はない。花見にしてもアウトドアでやるBBQにしても、よく冷えたビールは別にして実際に美味しいと思った食物は稀有と言ってよい。むしろ屋外ということで気にしなければならない衛生上の理由からかそれらを満足いくまでたらふく食った試しもないし、用具の準備や後片付け等も面倒臭いために僕は将来結婚して子供ができてもキャンプとかに連れて行ってあげたりなどしないのではないか、と正直心配している。それは一口に僕がアウトドア人間ではないというのに基づくのだろうが(注4*僕は山や自然自体は大好きです)、特に現代日本のシステマティックなアウトドアなどナンセンスだと感じるので僕は好奇心を持てない。日本のキャンプ場などは自然のデストロイヤー達が集まる場所以外の何物でもないと思うからだ。僕にとって自然とは野生の動植物を見たり澄み切った空気味わったり風景や星空を眺めたりする場所で、そこでメシを作って食ったりのは全くのオマケに過ぎないのである(注5*僕はアウトドアを好む人を大勢知ってますし、その人たちを卑下するつもりは毛頭ありません)。俗に言うアウトドアというのは、とどのつまり自然自体ではなくそれに「付随」してくるもの(食事や遊び等)を主体に価値を見出すものなのかもしれないが、それに行き過ぎを感じた時、僕は人間様に「ナンセンス」を憶えるのである。
  失礼、話がそれまくってしまった。結論=食べ物というのはその場その場の雰囲気を味わうものであって、味覚というのは概してファジーなものである。眺望の良いレストランの味の質が実際大したことない、というのにも通じる。僕は3週間に限ればここの食事でも生存可能。今日のところは以上で。



ORFORD, Canada 8月2日水曜日晴れ一時雨 「音楽祭10日目」

  ここオーフォールでも、一般的な音楽祭の例に漏れずほぼ毎日のように音楽会が行われている。今日は地元のシャーブルック交響楽団の野外コンサートがあった。セミプロのオーケストラだが、町に規模にしてはなかなかハイレベルな楽団だと感じた。この音楽祭自体多くの歴史的な音楽家に恵まれていると思う。チェリストのヤーノシュ・シュターカーを始め、ヴァイオリニストで旧レニングラード出身のエドは現役時代のムラヴィンスキーを知っているし(彼はホントにフレンドリーでナイス!)、またフェニヴェス氏はなんとトスカニーニの下でヴァイオリンを弾いていたそうだ。ちなみに指揮&聴音・ソルフェージュ担当のアグネス・グロスマンはヴィーン少年合唱団の元音楽監督、もう一人の指揮(&分析)の教授ラフィ・アルメニアンはアバドやメータと同じくヴィーン国立アカデミーのハンス・スワロフスキー直系の弟子である。彼の指導がまたタメになるので僕は大変いい思いをさせてもらっている。そういえば、同僚の台湾出身リーさんは、ヴィーンつながりでアグネスを知っていてここに来たそうだ。彼もまた5年間ヴィーン国立アカデミーでオットマール・スウィトナーについていた。なぜかここに来てもヴィーン関係者が多いなー。これも何かの縁だろうか。



ORFORD, Canada
 8月3日木曜日曇り一時雨 「とある木曜日」

  僕ら指揮科は聴講生を除き全員が今度の日曜のマチネか1週間後の音楽会のどちらかで1曲演奏するのだが、今日そのマチネ組メンバーが発表された。僕の名前はその中に含まれておらず、従って必然的に僕のコンサートは木曜日ということになる。日曜に振っちゃってその後腑抜けになるよりは最低木曜日までテンション保てた方がいいかな、と思っていたのでこの結果は問題ナシ。そして急遽モーツァルトのホルン協奏曲第3番がレパートリーに組み込まれた。もしこれの担当になったらどうしよ。めちゃくちゃ大好きな曲だけど何も準備してないしな。リハーサルは来週頭にも始まってしまう。ライブラリーでスコアは借りられるものの、僕は楽譜のコピーは楽譜を万引きしているのと変わらないというフィロソフィーを持っているし、楽譜(=音楽家の命)にはお金を惜しまぬタイプであるので、とりあえず今週末モントリオールに行けたらついでに調達してこようと思う。そうそう、パリゾーの掲示板に「オススメのモーツァルトのCDは?」という質問がいくつかあったのでこの場を借りてお答えすると、とりあえずモーツァルトのホルン協奏曲集なんかどうかな?って思う。僕は1番と3番が大好きで昔から愛聴してたので。ちなみにデイヴィッド・ジョリー(うちの大学の先生)他ソロのオルフェウス管弦楽団のヤツなどとてもきびきび小気味良く、万人向けに聴きやすいのでいかがかと。


               
MAGOG, Canada 8月4日金曜日晴れ時々曇り 「伝説」

  今日はここで教鞭をとる先生たちによる合同コンサートが行われた。現在82歳のヴァイオリンのフェニヴェス先生もバルトークのコントラストを演奏されたのだが、なんとその彼、今年3月に87歳で亡くなられたNYのフェリックス・ガリミア先生の大親友だというのだ! 演奏会後おしゃべりして分かった事なのだが、1936年に18歳の若きフェニヴェス氏をイスラエル・フィルに引き連れていったのがガリミア先生で、とにかく長年に渡っての付き合いだったとのこと。ガリミア先生はNBC響でトスカニーニ、ウィーン・フィルその他でフルトヴェングラーを始めリヒャルト・シュトラウス、ブルーノ・ヴァルター、エーリッヒ・クライバー、ハンス・クナッパーツブッシュら伝説的な指揮者たちと舞台を共にしてきた大ベテラン。また作曲家ではバルトークやラヴェル、ベルク、ヴェーベルンらと親交があって、バルトークの弦楽四重奏曲第6番を初演したのも先生であった。僕は先生の最晩年に何度かご自宅にお邪魔させてもらって当時の音楽界について色々お話を聞かせてもらったのだが、まさかもう一人同じジェネレーションの音楽家に出会うことができるなんて・・・これは本当に幸せなことである。これらの先生たちは正しく偉大な歴史の弁証人だ。ちなみにフェニヴェス先生はバルトークの44のヴァイオリン・デュオの初演者の一人らしい。僕のような若造にとっては夢のような話だ。彼らはカラヤンやバーンスタインは「次の世代」だと仰られるのだから、全く言葉を失ってしまう(苦笑)。
  コンサートのあとはもはやお馴染みとなったいつものバーへ。そこに集まった面子でマゴグにあるクラブに行くことになった。僕はピアノ科のステファニー&アニー、秋山先生の弟子ケンといったヴァンクーヴァー軍団とタクシーをシェアすることに。それにしても先程のコンサートからクラブとは、何たる変容。散々飲み踊りした後は音楽祭で働いているマゴグ出身のもう一人のステファニーに車で寮まで送ってもらった。星のとってもキレイな夜だった。いつかここにいるうち、星空を眺めてボーッとしなきゃな。



MONTREAL, Canada 8月5日土曜日晴れ 「我的気分転換〜もんとり3日目」

  いつだったか指揮科生の水準が想像以上だったとか書いたけど、聴音のテストで僕がトップだったのはなお想像以上だった。まぁ悪い気はしないが。
  今日は歌科の生徒の最終日ということでディナーがゴージャスらしかったが、それを顧みず僕は一人バスでモントリオールに出かけた。ようやくホルンコンチェルトの楽譜をGET。んんーいい曲だな、まったく。モントリオールでは市民憩いのモン・ロワイヤル公園で長時間費やした。そこに市街が一望できる展望台があるというのがポイントだったのだが、散々ハイキング(!)したので結構疲れた。もちろんそれに値する素晴らしい景色にお目にかかれたけど。やっぱ気分転換は大事だ。足を延ばして良かったと思う。HMVが週末は午後5時に閉まるというのは予想外だったけど・・・。その辺はさすがヨーロピアンだね、NYのCD屋はどこも年中深夜12時か1時までオープンだというのに。ちょっぴりマンハッタンが恋しくなる今日この頃。
  街に来たついでに地下鉄でオリンピック公園まで足を延ばす。目的はなんといっても斜塔としては世界一の高さ190mを誇るモントリオール・タワー。展望台まで斜めに登っていく2階建てケーブルカーなど、高層マニアの僕を刺激するに充分たる魅力を備え持つこの建物、上からの展望も思ったより素晴らしいものだった。タワー部の形状的に視界の制限が多いかな、と思いきや意外や意外。無限に思えるほど平坦かつ広大カナダの大地を堪能できたのだった。隣接するバイオドームはまた次の機会に行こうかな。
  オーフォールに帰った夜は、ピアノ科のステファニーと一緒に星空を眺めて過ごす。僕にとって片田舎での楽しみといえばとにかく天体鑑賞に尽きる。星の数は空気のクリーンさの尺度。ここは流星も簡単に見つかるし、いい感じ。星空は本当飽きない。お陰で今夜も遅くなってしまったよ。最近ちっともリアルタイム更新になっていないこのコーナー、頑張らねば。


Montreal Olympic Tower - World's Tallest Inclining Building



ORFORD, Canada 8月6日日曜日晴れのち曇り 「異文化」

  広島原爆記念日。今日の夜も、通いなれたミュージックセンター内のバーへ行った。そこでヴァンクーヴァーで学ぶピアノ科の「二人のアニー」とトランプに興じる。ちなみに一人は韓国出身、一方は香港人。それにしてもトランプのルールほど地域性があるものは他にないのではないだろうか?! 僕はいつも痛感するが、日本でも関東と関西で違う電圧や納豆の味以上にカードゲームは千差万別。特に大貧民(大富豪)やページ・ワン(ジャパニーズNYerの間では何故か「コリアン・ルーレット」)などやろうものならケンカものだ。UNOみたくこれらの世界統一ルールというのはできないものだろうか。今回は郷に入っては郷に従え、というわけで二人の規則にのっとってBIG2(いわゆる北米版大貧民)をプレイする。これは日本の大富豪にポーカーのエッセンスを加えた僕にとって極めて新鮮なものだった。二人に日本の一部地域に見られるルール(メジャーなものでは「革命」とか「革命返し」、カード交換、あとマイナー系で「8切り」や「スぺ3切り」、「連荘(連続、ストレート)」等)を少しだけ教えたらちょっとビックリしてたけどね。いや、それとも彼女たちのルールの方がグローバル・スタンダードなのだろうか?? いや、この件について真剣にリサーチしてくれる学者でも現れない限り真相究明は不可能だろう。探偵ナイトスクープにでも頼もうかしら(爆)。トランプのルールなんてほぼ完全に口コミだから家庭や学校等で驚くほどルールが異なるはずだし、ただ単に無作為抽出の1万人アンケートとかじゃなく国民調査的規模でデータを取らなければ、トランプと地域性の相互関係の謎を解く鍵は永久に見つかるまい。転校生なんていちいち新しいルールを覚えなきゃいけないから大変だよ。ん、待てよ?たまに生意気な転校生とかがいて、「そんなルールも知らないのかよ」とか言いふらしてトランプゲームの持つある一定の地域性に複雑な要素を盛り込んでしまっているのでは! それと僕の経験上の話、一部地域でしか普及していないゲームも数多く存在する。これもナカナカの謎だ。いや、実は大部分のゲームが全くの地域オリジナルで、それらを比較したときただ単に一定の共通項が存在するだけなのではないだろうか?! とても面白い論題だと思うが、マジで誰か卒論か夏休みの自由研究にやらない?これ。
  
  追記・・・これを書いてたら旅行出発直前に東京大学でTaeちゃんと学校給食について熱烈な議論を交わしたことを思い出しました。懐かしいですね。こっちの地域性もかなり奥深げです。どなたかあの揚げパンやソフト麺の謎(なぜに給食でしか食べられない!etc.)について、真相をご存知ありませんか??



ORFORD, Canada 8月7日月曜日曇り一時雨 「オルフォード15日目〜切実な希望」

  今日はフェニヴェス先生のヴァイオリンのパート練習(ベートーヴェンの1番)を見学させてもらった。さすが先生、僕が途中ちょっと気になったような箇所は全て指摘されていたし、やはり演奏習慣についてあらゆるノウハウを把握している。先生のような音楽家には少しでも長生きしてもらいたい。切実な希望である。今日は日記短し。



ORFORD, Canada 8月8日火曜日曇り時々晴れ 「BBQ」

  今日はバーベキュートリップがあったので、僕も友人達と行ってきた。この前はアウトドア批判みたいなことを書いた僕だが、決してそういうことが「嫌い」という訳ではないので誤解されぬよう。たまにはこーいうのもいいんじゃん(って矛盾?!)。
  ところでまだ演奏会の曲目が決定されない。コンサートは明後日に迫っているというのに。一体僕は何を振ることになるんだろう(???)。これじゃとにかく全てのレパートリー指揮できるよう準備しておかなきゃいけないじゃないか! いや、これはやっぱ先生の戦略なのだろうか。お陰でこっちはハラハラドキドキ、口から心臓(えっ!もしかしてどっちとも死語??)もんだよ。とにかく早く落ち着きたいな。



ORFORD, Canada 8月9日水曜日曇りのち雨 「早17日目」

  ついに今日レパートリー決定! 僕は心の中で第一志望だったベト1(ベートーヴェン交響曲第1番ハ長調作品21・・・念のため)を振ることに。待った甲斐があったと安堵。さぁ、本番精一杯やるぞー!
  ここでは結構自由時間があるお陰様でピアノが上達しそうだ(笑)。ヴァイマールのときとえらい違い。来年の入試等に備えてベートーヴェンのソナタでも始めようかな。ベートーヴェンが残したピアノ・ソナタは計32曲。バッハの平均律クラヴィーアが旧約聖書だとすると、これらは新約のそれに例えられる人類の偉大な遺産だ。従って、全く大したピアニストではない僕にとって演奏可能な楽聖のソナタなどもちろん限られている。そこで割かし簡単なものを探した・・・ら、なんとも意外な事実を大発見! 32曲中「15の倍数を除く5の倍数の番号が付くソナタは技術的に比較的容易な作品である」という説を僕はここで提起しよう。どうだろう、これで全国のピアノの先生もあれこれ悩まず第5番10番20番25番を生徒さんに与えられるのでは?! 嗚呼、相変わらずくだらないこと思いつくな、俺・・・ま、いっか。



ORFORD, Canada 8月10日木曜日晴れ 「本番〜KIMURA CONDUCTS BEETHOVEN 1!」

  今夜8時からの本番は、かなり燃えました。えぇ、僕自身かなり気合入ってたと思います(何故かここにきて丁寧語)。結構オーディエンスのウケ(?)も良かったし、全体的に上手くいったんじゃないでしょうか。皆さん、聴きにきてくれてMerci!
  その後は「お約束」の打ち上げ。ビールやらカクテルやら思いっきりチャンポンしたあと、天気が良かったこともあって僕とアンドリューとステファニーとアネットとアニー2人と「もう一人の木村さん」(長いので以後リュウコさん)で近所のゴルフ場に星空鑑賞に出かけた。しっかし夜のゴルフ場って不気味だな〜。真っ暗で何も見えんし、ともするとバンカーやクリークに落ちかねん。でも流星もいっぱい見られたしいい息抜きになったよ、ウン。やっぱ星は良い。


Coffee Cups and Sunglasses



ORFORD, Canada 8月11日金曜日晴れ 「奇遇・2」

  本日の奇遇はNYでピアノ教師をしている飯島さん。スズキメソッドの仕事で昨日オーフォールに着いたのだそうだ。カフェテリアの外でばったり出くわした時はマジかと思ったよ(!)。これまた何という巡り合わせ・・・ヴァイマールでのジョセフ(ヨーロッパ編2・7月15日参照)もそうだったけど、本当にこの世界狭いッスね。
  今夜のバーはいつも以上の賑わいを見せていた。何てったって明日でお別れだからね。それにしても皆、この3週間で卓球にビリヤード上手くなったよ(爆)。けど時間経つのは速いな〜。僕も1週間後の今日にはとっくに家に着いてるんだから。そんな調子で今日も遅くなってしまった。



MONTREAL, Canada 8月12日土曜日晴れ 「別れ」

  今日でオーフォール最終日。仲間達との別れはいつも辛いもの。これがあるからね〜、長い共同生活というのは堪えるよ。
  友人の何人かは早朝発って行ったが、僕とステファニーは昼食後タクシーでオーフォールを後にし、マゴグからバスでモントリオールへ。午後3時半頃モントリ到着。ステファニーはマギル大学の友人宅を今日から訪ね、僕は帰国直前のちょっとしたエクスカーションを楽しむ予定。彼女ともここでお別れだ。ここでもこうやって一人一人、僕は別れを経験していく。ちなみに彼女とは11月にNYで再会することになっている。
  「借りたバス代、その時返すね!」  


The Last Day



OTTAWA, Canada 8月13日日曜日晴れ 「首都オタワから」

  今日はオタワに行ってきました! 当初は飛ぶことも考えたんですが、結局バスで行くことにしました。飛行機だと全便スターアライアンス系だからタダなんだけど、便数が無い上に空港-都心の交通費が馬鹿にならないんですよ。高速バスの学割往復チケット買うとほとんど変わんないんですよね。泊まってるホテルがバスターミナルから徒歩10秒(!)ということもあって特急バス利用決定。結局2時間半程で首都到着。音楽祭の後オタワに住む兄を訪ねているアネットと戦争メモリアル前で会って市内観光。高層マニアの僕、もちろん国会議事堂のピースタワーも登ったよん♪ しかし昨日モントリのマックで見かけたのと同じ日本人観光客にオタワで出くわしたのは、なんだかなぁ〜(息)。それにしても、いつも思うのだがどうして日本人ツーリストはこれほどまでにワールドワイドなのだろう。しかも6割、いや7割は女の子二人組み。一体なぜ??男どもは何をやっている?!やっぱり海外=買い物=女子大生なのだろうか。NYと違いギャルってる連中はほとんど見かけないのでよいが、それにしても日本の女の子は旅行好きですね。スゴイです。
  ところでオタワはとってもキレイな首都。キャンベラ(オーストラリア)やブラジリア(ブラジル)、ワシントンDC等と同じく典型的な計画都市といった感じでした。ステファニーに「ナショナル・ギャラリーのグレン・グールドのピアノを見に行け」と命じられていたけど、今回は見送ることに。時間の問題もあったけど、だって屋内にいるにはもったいないほどのいい天気!街の外観も映えるってもんです。
  今夜はリュウコとモントリオールの街でディナーの約束だったんだけど、ちょっとしたサープライズにオタワからアネットを連れて行くことに。誰もまさか3人揃って食事できるとは思ってなかったもんだから面白かったよ。しかしついに明日でキャナダも最後か〜。いつも思うけど、北米人はとっても愛国心旺盛。特にキャナダ人など、アメリカ人と間違われたくない故かやたらとお国に神経質。リュックにキャナダ国旗を付けて旅をしているキャナダ人バックパッカーを見かけたことある方も多いのでは。トレードマークにしてお土産の定番・メイプルリーフはいつでもどこでも彼らの心にあるのでしょう。日の丸がどうの君が代がどうのと揉めているわが国とはえらい違い。ほんのちょっぴりキャナダ人が羨ましい今日この頃の自分でした。


War Memorial in Ottawa



MONTREAL, Canada 8月14日月曜日晴れ 「100万$」  

  昨日のオタワに引き続き、今日もアネットと市内観光。今回の狙いはモントリの旧市街。しかし思ってたよりもかなり汚い街かもしれん、ここ。特に新市街など、ボストンやボルチモアのダウンタウンの方がよっぽど清潔だろうね。悪いけど、はっきり言って「北米の巴里」なんて言っちゃパリに失礼だ(それでも住んでる人はパリ人より機転がきくっぽいけど)。Parisに次ぐフランス語圏第二の大都市というのはそれでも事実だけどさ。ただモントリはエリアによってがらっと様相が変わるので、観光のし甲斐はある。カルチエ・ラタンなんかはエキゾチックでいい雰囲気だし、モン・ロワイヤル一体はとっても心が和む落ち着いた場所。何だかんだ言ってサンタ・カトリーヌ通りは活気あるし、旧市街は規模もそこそこ大きく欧州そっくりと言えばそっくり。ただ汚いってだけ。言葉以外は、かなりアメリカ的な街って感じだね。それを踏まえてもらえればモントリオールはあなたの良き観光地になり得ることでしょう。
  バイオドームへはリュウコと行ってきた。ここは動物園・水族館・植物園を一つにしたみたいなエキセントリックなところ。ペンギンが可愛かったよ。
  
アネットやリュウコとも今日でお別れ。「また会おうね、みんな。」僕は一人ドルヴァル国際空港へ向かった。しかしここで衝撃の事実!NY行きの便全てが暴風雨のためスケジュールに大幅の乱れ・・・予約していた19時20分の便は21時以降までずれ込むとのこと。朝から欠航が相次ぎ、中には12時間以上も足かせを食らった人もいる。そんな、俺は一刻も早くマンハッタンに帰りたいぞ!!という訳で、僕は急遽18時15分の便にチェックイン。この辺の臨機応変さも世界一周切符ならでは。この便も結局8時半まで出発を待たされたのだが、まあ早く帰られるに越したことは無い。
  ここでもう一つ小さな驚きを。モントリオールのドルヴァル空港はカナダにある(当然)。が、同時にアメリカ合衆国のパスポート・コントロールがその空港内に存在するのだ。出発ゲートに至る途中には「Welcome to the United States of America」の大きな看板が・・・。従ってアメリカ到着時には何の手続きをすることも無い。つまりはカナダから米へは国内線と同様に飛べるという寸法である。それにしても思い切ったことをするもんだ。
  それにしても久し振りのマンハッタン。そして台風一過といった感じの好天気。飛行機の小さな窓からは溢れんばかりの光の洪水が・・・。地球人なら誰もが見たことがあるであろうジグソーパズルの夜景が眼下に広がる。いつ見てもこの景色はスゴイ。僕が大好きなマンハッタンの勇姿だ。飛行機内誰もがそんな本物の100万$の夜景に釘付け。僕の「NYに帰ってきたんだ」という実感も本物になる。長旅の疲れも少し癒された。



NEW YORK CITY, United States 8月15日火曜日晴れ 「再会・2」

  久し振りのNYの朝。まずは日本から友人の結婚式のためちょうど訪米中のチサトに会う。僕の自宅近くでブランチをとって二人ミッドタウンまで徒歩でブラブラ。それにしても、この辺のブロードウェイやコロンバス街を歩いていると必ず誰か知っている人に出くわすのだからスゴイ。この日も友人数人に出会った。それから僕はNYエンターテイメント・カレンダーの取材等済まし、午後8時に再びチサトと落ち合った。そして前々から気になっていた7番街50丁目のテーマカフェ、Mars2112に行くことに。僕の回の「未来者」(テレビ朝日)でちょこっと紹介されたレストランだ。まず宇宙船に乗って火星へ出発するのだが、実はこれが結構長くってウケる。そこまでする必要があるのかとついつい思ってしまったが、何故かここハリウッドの国ではそれが様になるので不思議である。ちなみにこの宇宙船に乗るだけで帰るのならお金は1セントもかからない。アメリカって楽しいね。火星(=内部)は結構デカくって、レストランやバーの他ちょっとしたゲームセンターがあるのだが、そこで出迎えてくれるのはかなり怪しげな火星人・・・。メニューも大変火星風味が効いていて面白い。味もこの手のレストランにしてはなかなか凝っている方なんじゃないかな。帰り道も宇宙船なのかと思うと気が遠くなったが(笑)、幸いワープゾーンを見つけたので一瞬で地球到着。束の間の火星旅行を楽しんだ僕たち、とりあえずマリオットマーキーの回転ラウンジに向かうが、なんと点検中のため本日臨時休業。しかも仕方なく向かった先のエンパイア・ステート・ビルディングも人で溢れ返っていて、今夜分の展望チケットはもう販売終了だった。最後にマンハッタンの100万$を拝められなかったのはとっても残念だったが、まぁ仕方ない。しかし正しく泣きっ面に蜂、もう一つ残念なことが・・・。なんと、チェロキー・フェニックス=うちのそばの行きつけのバーが店をたたんでしまっていたのだ!! いつも行く度にビールをおごってくれてたバーテンのクリフにももう会えないのか〜。ビリヤードもあったし毎週末にはライブもやってたし、思い出詰まったあのバーを失うのは痛い・・・。最初のシドニーもそうだったけど、最終目的地のNYでもショッキングな出来事が多いなぁ。「全てが思うほど上手くは往かないみたいだ〜♪」という訳で、僕のMillennium地球一周旅行もそろそろ終わりが近づいてきた。あとは明日無事に日本へ旅立つのみ。短いようで長かった、あっという間の夏が終わろうとしている。



NEW YORK CITY, United States 8月16日水曜日晴れ 「帰国!」

  今朝はチサトと朝食をとる予定だったのだが、何を誤ったか彼女が午前6時に家を訪ねてきて計画変更。というかやっぱり疲れていたのでその辺で適当なもの買ってこれ朝食とす。彼女に見送られ僕はグラセン(グランド・セントラル・ステーション)から空港バスでJFK国際空港へ。僕は全日空とコードシェアのUA便の窓側非常口席を予約していたのだが、やっぱ機材も全日空がイイや、と急遽ほぼ同じ時刻に離陸する全日空便にチェックイン。幸いウインドウシートを取れたので良かった。さすがはスターアライアンス!
  現在日本時間17日午前11時。ちょうどアッツ島付近の日付変更線のとがった部分を通過したところ。あとちょっとで日本だ。本当に地球を一周してしまった。マゼラン一行は航海日記が一日分足らなくなったが、僕は彼らのお陰でこうして今日の分の日記が書ける。というか、船で旅行するのとは全くスピードも勝手も違うのだけどね。それにしても充実感溢れる旅だった。ただ、確かにあっという間の2ヶ月だったけど、地球が小さかったとは決して言いたくない。それはこのマザーアースに失礼かもしれないから。いや、むしろ「こんな所が地球上にあったのか」という地球の偉大さを実感できた旅であったように思う。人間のエゴでこんなに簡単に地球上を旅できるようになったが、お陰で見失うものも一杯あるのだろう。例えば、いま僕の真下にある島々。船で旅するなら目の前の道筋のほとんどをその目で確認できたことだろう。けど、機械に乗って上空を行く僕にはその存在すら明確に知り得ない。地球一周4万km以上の旅をしたとは言え、僕が足跡を残した場所よりもまだ見ぬ土地の方が圧倒的に多いのだ。本当に色々な場所に行ったのは事実だけれども・・・。
  よく小学校の先生が「家に帰るまで遠足は終わりません。」とか言っていた。僕の旅も帰宅するまで続くのだ。そして僕はまた新たな旅に出るだろう。恐らく僕の旅は一生終わらない。終えたくない。
「人生とは旅そのものである」と誰か本当に言ったかどうかは知らないが、とにかく僕は旅人であり続けたい。人は長い歴史の中、様々な旅をしてきた。僕もずっと夢を追う旅人でありたい、そう思うのだ。


Twin Tower of World Trade Center




〜 Epilogue 〜





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