米国の対テロ戦争、いわゆる対テロ戦争に関しては、僕はやむを得ないと考えている。
米国は、朝日や毎日といった新聞が伝えているほど短気ではなかった。
米国は、非常に慎重にかつ着実に、テロ非難の国際世論をまず固めた。
泥沼となったベトナムとの違いは、ここにある。
あの時は背後のソビエト連邦が大きな存在であったが、今回、タリバン政権のアフガニスタンをバックアップする国家は皆無であった。
これは大きな違いだ。

ラディン及びアルカイダが関与したとされる確固たる証拠を提示していない等と言うメディアもあった。
しかし忘れてはいけない。
テロの戦争で、最も重大なカギを握るのはやはりインフォーメーションだろう。
従って、米国側が掴んでいる証拠の類の一般提示は、言わば国家機密の開示に繋がり、今後の戦況また国防を考慮する意味で米国にとって大きな損失となり得てしまう。
宣戦布告も無い戦争的な大攻撃の後、こちらの貴重な情報ソースを敵に悟られる危険性のある行為は、二次的被害を思えばスマートな選択とは言えないはずだ。
国際信用上、各同盟国家のトップレベルの人間が納得するだけの証拠があれば、十分なのではないか。
そう僕は解釈している。
しかし一方で、後に入手し公開に到る最初のビデオテープの貧相な内容を思えば、
「現在のところ数点の状況証拠しか無いが、米国にとって余りの脅威なので正当防衛する」
これで良かったんじゃないだろうか、とも思ってしまう。

あと一つ、「正義の戦争」と銘打ったのは、確かに行き過ぎたプロパガンダかもしれない。
戦争に、正義も悪も無いからだ。
ただ、これは21世紀社会の動向を占う上で大きな意味を持つ戦争であるだろう。
つまり極端な話、「勝った方が正義」とも言える。
それは過去の幾多の戦争の歴史が証明している。
そのために米国は真剣に且つ人的被害を最小限に抑えるため、将来の正義のために英知を極め戦っている。
国務長官を中心とする米国のブレーンは、あれほどの悲劇を考えれば冷静沈着と言えるプロセスを踏んで機能したのではないだろうか。
そう僕は信じているし、信じたい。
今はただ、捕らえられたタリバン兵の処遇、そして今後の対テロ戦争の流布拡大を危惧するところだ。
とにかくアメリカ合衆国には、これを機に唯一の超大国としての自覚と信用を確立して欲しいと思う。

あと蛇足であるが、「ラディンを捕まえるな。対話が重要。」などと馬鹿を抜かしている日本人某議員らは本当に目覚めて欲しい。
つくづく思う。
さすが、過去にテロに屈した前例を持つ屈辱国家の議員だけある。(←注:僕は日本国は大好きですが、ああいう平和ぼけした人々がどうしても理解できない、という意味です。)
炎と煙の苦しみに耐えかねてタワーの100階から飛び降りた人の気持ちになって考えてみて欲しい。
彼らの遺族の前でもそんな偽善的なことを言えるのなら、そうすれば良い。
現実問題、僕らニューヨークの人間は誰でも殺される可能性があった。
貿易センターで働いていた世界各国の多くのエリートが惜しまれつつも散った。
それらの人々を救助に向かった多くの消防隊員も亡くなった。
将来ある者が無残な死を遂げ、尚且つ残された人間が更なる恐怖に慄きながらテロリストとの対話という非現実的で空虚な妄想を強いられるのは、まっぴらごめんである。
もしアフガン空爆以外に取れる手段があったのなら、教えて欲しいものだ。
勿論、20世紀のアメリカの外交政策に全く問題が無いわけでは無いだろう。
ただ、それとNYの世界貿易センターを短絡的に結びつけることは出来ないし、またアフガンを空爆したのも、アルカイダが行ったような罪の無い人々に犠牲を強いるための攻撃ではない。
個人的には、強引だがタリバンどもに爆破されたバーミヤンの仏罰に相応するものだと感じることすらある。
少なくとも今回の場合、最善の策がアルカイダを庇護していたタリバン政権下アフガンへの空爆であったのだ。


…‥ちょこっと感情的になってしまった。
本当に言いたいのはそんなことじゃなくて、
「ジュリアーニ市長、お疲れ様!」
これである。

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