「蜘蛛の糸」を読んで

五年 四組 木村 康人


 ぼくが、はじめてこの話を知ったのは、この「蜘蛛の糸」の一部が塾のテスト問題に出てきたときです。それまでは、この「蜘蛛の糸」も含めて芥川龍之介の本などには目もくれませんでした。ところが、なぜか「蜘蛛の糸」全部を読んでみたくなり、本を買って読んでいくうちに芥川龍之介の他の作品にまでも興味を持つようになりました。
 芥川龍之介の作品の良い点は、読み易く、短い話であるがその一つ一つの作品に芥川の思いがこめられていることだと思います。この「蜘蛛の糸」もまた、短い話ではあるが、素晴らしい物語だと思いました。特に、?陀多が自分の無慈悲な心のために、自分の居た元の地獄に落とされてしまった場面などに心を引かれました。人間の気持ちは、時を状況により様々で、特に思いやりというのは、人間にとってかけがえのないものだと改めて感じました。
 ?陀多のような罪人でも、弱々しい小さな蜘蛛を助けてやったこともあり、決して心の底まで悪にそまったわけではないでしょう。?陀多は、本当は心の豊かな人だったような気がします。地獄に落ちた人なら、人間だれでも地獄から抜け出したい気持ちは当然で、?陀多に限らず、極楽に行ってみたいという気持ちでいっぱいだっただろうと思います。?陀多の後ろを蟻のようにぞろぞろついて来た罪人達も、このような気持ちのため行った行動なのでしょう。あるいはそういう?陀多の気持ちを悟ることが出来た釈迦は、立派だと思います。もし仮に、ぼくが釈迦の立場であったら、このような慈悲深い行いは出来ないだろうと思います。逆に、?陀多のように地獄へ落ちた罪人同然の立場だったら、やはり自分勝手な行動をしてしまうかもしれません。釈迦は、そのような行動をとって元の地獄へ落とされてしまった?陀多を見て、心悲しんでいたが、このことは?陀多が知らないにしても、自分の身勝手な行動をとったための天罪だと悟ったのなら、それは?陀多にとって言葉以上の教訓になるに違いない、とぼくは思います。又、心が清らかとはいえない?陀多にとっては、抜け出ようとした元の地獄へ一度逆落としにされた方が、心の中の悪心が洗いおとされ、より心の豊かな人間になれるだろうと思っています。少しでも清らかな心を取り戻した?陀多を見れば、釈迦もまた?陀多が極楽へ来られるような機会をつくってくれるだろうと思います。やはり以前のままの?陀多よりも、今一度心を改めた?陀多を極楽へ迎えた方が、?陀多にとっても良いことになるでしょう。そうしたら、?陀多も今までの悔いを晴らし、きっと一人前の人間として極楽で過ごすことが出来るだろうと思います。
 しかし、現実として様々な悪事を働いた?陀多が、本当に成仏できるでしょうか?


筆者注; ?は牛偏に建。(?陀多=カンダタ)



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