列島見聞録
presented by Y. K.
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本は美しい。例えば日本列島。乱暴な言い方かもしれないが、例えば同じアジアでも朝鮮半島や台湾、ボルネオ島やニューギニア島などと比べたら断然均整が取れており、美しい。その中でも私が特に愛する地形は、一例を挙げるとすれば伊勢湾〜琵琶湖〜若狭湾の「腰のくびれ」、房総半島と能登半島の「左右対称」、房総・三浦・伊豆半島の「三姉妹」や下北&津軽、渥美&知多、薩摩&大隅半島の「兄弟たち」、男鹿半島と牡鹿半島の「姉弟」、佐渡島を見つめる能登半島、隠岐・対馬・壱岐・五島列島などの「日本海遊泳」、プチ・オーストラリア大陸の四国、日本版ケープコッドさながらの野付崎、などである。巨大な菱形を誇る北海道が列島全体に与えるインパクトやエッセンスもまた重要であろう。とにかくこのタツノオトシゴ型列島の、弧を描く姿勢は堪らない。それはまた国土のどこを切り取っても、非常に個性的で面白いのだ。
次第に、日本の国土を地図上のみならず、中に入って覗いてみたいと思う自分を知った。この国は、一見似たような都市や自然の集合で構成されているようでありながら、実は地方によってその差異は明白で、総体としてもアンバランスで東洋的な「美」に満ちている。一方で、そのアジアン・カオスの中には一定の秩序や端正さがあり、本当に奥が深い。そんなことに興味を持ち、毎季のごとく旅に出た。
僕は愛知県で生まれた。五十音順で一番目の県だ。この時点で、人生で最後に足を踏み入れるのは五十音順で五十番目の和歌山県だと運命付けられていたのかもしれない。故郷三重県のお隣であるにも関わらず、一度も訪れたことがなかったというのがまた一興なのである。余談だが、日本最大の飛び地で三重県と奈良県の狭間に存在する和歌山県北山村には、ぜひとも訪れてみたい。
しかしながら、僕の見聞した日本列島など、ごくごく一部にしか過ぎないことは自明である。旅を進め未踏の「地理的地名」が少なくなっていく過程に於いて、「踏破」の定義について無視することが難しくなり、ある種の「罪悪感」は日増しに大きくなっていった。「罪悪感」、すなわち札幌や旭川に行ったからといって一口北海道を見たなどと意見するのは、あまりに僭越で身勝手なことではなかろうか、ということだ。県府庁所在地見学の有無、観光の密度、宿泊の有無についても然りである。
そうするうちに僕は、ひとまず北海道を14の市庁舎という区分で捉えたいと考えるようになった。日本は1都1道2府43県ではなく、1都14支庁2府43県の計60プリフェクチャーによって成り立っていると勘定することで、僕の日本列島踏破の為の目的地は、当分失くならないこととなったのだ。その通過点として、今日までで1都10支庁2府43県を一応「踏破」した僕のアルバムを、ここで順次公開していきたいと思う。
『妹』